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ベルリンの壁 Q&A - ドイツ外務省

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「ベルリンの壁」とか「冷戦」という言葉を聞いた事がありますか? ある日、ドイツのベルリンという町の中に巨大な壁が築かれました。1枚の大きな壁がひとつの町をふたつに分け隔て、そのために友達や親戚、おじいさんやおばあさんに二度と会えなくなるなどと考えられますか?当時のベルリンの壁はまさにそういうものだったのです。この壁は1989年11月9日まで28年間、存在し続けました。 ドイツ民主共和国(東ドイツ)の国境警備隊がベルリンの舗装道路を壊して石でバリケードを作り、町を横切る有刺鉄線を張りました。そして西ベルリンの周りを取り囲むように、人が乗り越えることのできない、3メートルの高さの壁を作りました。こうしてベルリンの西側部分は、東ドイツと東ベルリンから分離されました。 ベルリンの壁を作る計画は東ドイツ政府の国家機密でした。旧東ドイツ社会主義統一党(SED)幹部の命令を受けて、人民警察官と国家人民軍兵士の監視の下、土木工事作業員によって作られました。 ベルリンの真ん中にありました。ベルリンの中心部を横切る形で西側部分をぐるりと取り囲み、町の西側部分を東ドイツから切り離していました。 481 km² 。東京都区部より少し狭い程度です。 人口は1989年の時点で 2.130.525人でした。(1990年東京都区部の人口は8.163.573人) 155km。( およそ名古屋-富山間、大阪-岐阜間、徳島-松山間、広島-岡山間、大分-宮崎間位) 1961年8月13日に作られ1989年11月9日に壊されました。(28 年2ヶ月 27日) 東ドイツは自国の存在が脅かされていると感じていました。 壁を作るまでは毎日2000人程度の国民が国を去っていました。これは1949年に東ドイツが建国されてからずっと続いており、全体では約200万人にものぼりました。 東ドイツ政府高官は、国民が国を去るようでは社会主義国家は作れないと考えました。そして国民が自主的に国に残らないのであれば、壁を作って強制的に留まるようにしなければならないと考えたのです。 東ドイツの人々が逃げられないようにするために、ベルリンの壁が作られたのです。 1950年から1960年にかけて東ドイツの経済状況はどんどん悪化していきました。 これに対して西ドイツと西ベルリンは経済成長を続けており、国民は良い生活を送っていました。 最近の調

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