プログラマの抱いている名前についての誤謬
パトリック・ミッケンジー(Patrick McKenzie)さんのブログ・エントリ、 “Falsehoods Programmers Believe About Names” の日本語訳です。翻訳の公開を快諾してくださったミッケンジーさんに感謝します。 Posted on June 17, 2010 by Patrick きょう、ジョン・グレアム゠カミング(John Graham-Cumming)が、正しくない文字が含まれているといって彼のラスト・ネームを受け付けないコンピュータ・システムへの不満の記事を書いていた。もちろん彼の名前に「正しくない」ところなどない。当人の申し出たものが当人を識別するものとしては相応しいのであって、定義からして名前とはそういうものである。このことにジョンは当然ながらいらだったし、そうなるのもきわめて正当なことだ。定義からすれば事実上、名前とはその人のアイデンティティの中核をなすものだからである。 わたしはプログラムの仕事で数年ほど日本で暮らしていたことがあるが、そこで決まりきった形式の名前しか受け付けないシステムを何度もクラッシュさせてきた。(わたしは多くパトリック・ミッケンジー(Patrick McKenzie)と呼ばれているけれども、ほかに6つの名前もわたしは自分の「フル・ネーム」だと認識していて、それはどれであれ、わたしの利用するどのシステムでも適切に処理できない。)同様に、べらぼうな超大企業がビジネスをグローバルに進めるために作ったような、理論上あらゆる名前に対応していることになっているシステムでもわたしは苦労をしてきた。わたしは名前というものを適切に扱っているコンピュータ・システムを見たことがないし、そういうものがこの世に存在するかも疑わしく思っている。 ひとつサービスとして、あなたの作るシステムが名前について無条件に仮定しているであろうことをここで列挙してみよう。これらの仮定はすべて間違っている。こんど名前を扱うシステムを書くときには、これらにできるだけ当てはまっていないものに挑戦してほしい。 このリストはけっして網羅的なものではない。もし上に挙げたような思い込みを打ち砕くような現実の例を知りたければ、よろこんでお教えしよう。リストに加えるような誤謬があればコメントで追加してほしい〔訳注:原文のブログのほうです〕。また、こん