The Project Theory Probe Journal Issue 19
前号では、ここまでの「もつれる (involuting) プロジェクト」についての探求をふりかえりながら、この「異質なものとの関係性を取り結ぶ」プロジェクトの根底にあるものに触れた。そこで得たのは、「プロジェクトが関係性を紡いでいる」と考えるのではなく「共棲している世界の中にプロジェクトが在る」とする発想の転換であった。たしかに、よく考えれば「異質なもの」という形容詞がすでに物事の区別の安定している側からの観点ではないだろうか。だが事実、物事は流動的なのである。本連載では、そうした世界を微生物や量子の世界に見たのであった。それらは決して縁遠いわけではない。むしろ身近過ぎる。われわれは微生物に寄生しているほか、すべてのモノは量子から成っている。こうした「共棲している世界 (symbiotic world) 」の中に、安定している (と見える) 系は成り立っているのである。 それでは、「もつれるプロジェクト」は当たり前な形容詞を冠している意味のない概念なのだろうか。その通りかもしれないし、そうであって欲しい。しかし、この概念が本連載が探究の出発点になるくらいには、そして数名の思想家・科学者を経由する必要があったくらいには未だ「当たり前ではない」のである。われわれが微生物や量子の世界を覗いて驚くのは、それが日々の感覚とかけ離れているからだ。仕組みや観念が「在る」と思い込んで (Kittyさんの連載でいうところのSubtractive Awareness) 社会生活を営んでいるわれわれにとって、「異質なもの」を取り込むプロジェクトはやはり驚くべき事態なのである。もしそうであるなら「もつれるプロジェクト」には、そうした「共棲する世界」と「社会」を架橋するものとして、積極的かつ貴重な意義を見出せるのではないだろうか。 その意義を明らかにするにあたって、橋渡し先であるもう一方の極、「社会」について概観してみたい。社会を、仕組みや観念が「在る」という観点から (というよりも「在る」とみなされる観察を契機として) 説明する社会学者にニコラス・ルーマンがいる。もともと理論生物学の理論であったオートポイエーシスを社会学に適用して発展させた彼は、ハラウェイが立てた「シンポイエーシス vs. オートポイエーシス」の図式でいえば後者に属していることになる。彼はなぜ社会システムが安定して存在して
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